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東京高等裁判所 平成8年(う)1167号 判決 1996年12月04日

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金一〇万円に処する。

原審における未決勾留日数のうち、その一日を金五〇〇〇円に換算して右罰金額に満つるまでの分を、右の刑に算入する。本件公訴事実中、傷害の点については、被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人柴山聡、同丸山公夫連名の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

所論は、要するに、原判決は、被告人の甲山春男に対する行為を正当防衛ではなく、過剰防衛であると認定したが、右は判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認である、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討する。

一  まず、関係証拠によると、次の事実が認められる。

被告人が、原判示遊亀公園で、辻荘之助を相手に将棋を指していたところ、傍らでこれを観戦していた乙川夏雄が口を出し、被告人がこれをとがめたことから、乙川との間で口論となり、被告人が乙川に対しその顔面を一回殴打し(原判示第一の暴行)、二人がつかみ合うような形になったこと、すぐに、辻や近くにいた目時三男がこれを制止したので、その場はいったん収まり、被告人は、近くの駐車場に停めていた車で帰るべく、駐車場に向かったこと、そこに、近くで酒を飲んでいた甲山や丙田らが駆け付け、帰ろうとする被告人を引き止め、丙田が被告人の腕をつかみ、甲山が何度か被告人の脚や腹部を蹴るなどしたこと、被告人は、初めは、「あんたらには関係ないよ。」などと言って、甲山を両手で押し返すなどしていたが、更に甲山が被告人の腹部を強く蹴るなどしたので、被告人が左拳で甲山の顔面を一回殴りつけたこと、甲山は、その場に仰向けに転倒して、アスファルト舗装の路面に後頭部を強打し、原判示第二のとおりの傷害を負ったこと、以上の事実が認められる。

二  この点について、当審で証人として取り調べた丙田は、被告人が乙川を蹴るのを見て、自分と甲山はそれを止めるために乙川らのところへ行った、被告人が駐車場の車の方に行き、車に乗ろうとするので、文句を言い乙川に謝らせようと考え、追い付いて、「逃げるのか。」と言うと、被告人は車から降り、甲山と向かい合う形になった、甲山は二、三回被告人を蹴るように足を出したが、被告人との間に距離があり、当たらなかった、自分は甲山と被告人の間に入り止めていた、その時に、いきなり被告人が手拳で甲山のあごの辺りを殴り、甲山が路面に転倒した旨、右認定事実とは異なる趣旨の供述をする。

しかしながら、被告人が、辻らに制止されて、乙川とのいざこざの場を離れて帰ろうとしているのに(丙田の供述するところでは、被告人が体の半分を車に入れているのに)、丙田らが被告人を引き止めていることが認められることからしても、丙田らが、単に被告人の乙川に対する暴行を止めるなどというものではなく、被告人に乙川に対する暴行につき、言いがかりを付けようとするものであることは明らかであること、丙田は、甲山が被告人を蹴るように二、三回足を出したとしながらも、その足が被告人の体に当たるのは見ていないとか、距離があり当たらなかったなどとするが、いかにも不自然であり、甲山が被告人の脚や腹部を蹴ったことは明らかであるというべきであること、また、丙田と甲山との関係や、二人がそろって被告人に駆け寄っていることからしても、丙田が、甲山とともに被告人に攻撃を加えるために、被告人の腕をつかむなどしたものであることは明らかであること等、丙田の当審公判証言はたやすく措信し得るものではないことは明らかであり、丙田の当審公判証言には前示の認定を左右するものはないというべきである(一方、前示認定に沿う目時の原審及び当審公判証言にも不自然とみられる点がないではないが、前示認定の範囲では信用し得るものと考えられる。)。

三  前示認定の事実からすれば、甲山の被告人に対する暴行が急迫不正の侵害に当たること、及び被告人の甲山に対する行為が自らの身体の安全を守るための防衛の意思に基づくものであることは明らかであり、同旨の原判決の認定はその限りで是認し得るものと考えられる。

四  そこで、以下、原判決の被告人の行為についての防衛行為としての相当性の判断について、検討する。

原判決は、被告人は、甲山を押し返すなどによってその攻撃を避けることができたのに、甲山も顔面を手加減することなく殴打したものであり、被告人の行為は甲山らの攻撃に対する防衛行為としては、相当性の範囲を逸脱する過剰なものであった、とする。

しかし、被告人が甲山の顔面を殴打するに至った経過は前示のとおりであるが、近くの駐車場に停めていた車で帰るべく駐車場に向かったところを、追い付いてきた酒に酔った甲山や丙田らに引き止められ、丙田に腕をつかまれ、甲山から何度か脚や腹部を蹴られたこと、被告人は、初めは、「あんたらには関係ないよ。」などと言って、甲山を両手で押し返すなどしていたが、更に甲山から腹部を強く蹴られたので、左手拳で甲山の顔面を一回殴りつけたことが認められるのであって、甲山らの行為に比して、被告人の行為が特に強烈であったとも認められないこと、甲山がアスファルト舗装の路面に後頭部を強打したについては、同人が酒に酔っており、足を振り上げるなどの同人自身の事情が重なったのではないかと思われる節もあること、原判決は、目時の存在からも甲山を押し返すなどによって攻撃を避けることができたとするが、被告人は、既に一度、「あんたらには関係ない」として、甲山を両手で押し返しており、また、目時の存在がさほど甲山らの攻撃を和らげるものであるとは期待できないこと等からすれば、本件の結果が極めて重大であることは原判決が指摘するとおりであるとしても、被告人の甲山に対する行為が防衛行為としての相当性の範囲を逸脱する過剰なものではないと認められ、原判決にはこの点で判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があるというべきである。

論旨は理由がある。

原判決は、原判示第一の事実と併せて、両者は刑法四五条前段の併合罪の関係にあるとして、一個の刑を科しているので、その全部についてこれを破棄するほかはない。

よって、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書に従い被告事件について更に判決する。

(一部無罪)

被告人に対する傷害の公訴事実は、「被告人は、平成七年九月二四日午前一一時ころ、甲府市太田町<番地略>所在の甲府市立遊亀公園駐車場において、甲山春男(当時四四年)に対し、左手拳でその場に転倒させてアスファルト舗装の路面に後頭部を強打させ、よって、同人に加療約七か月間を要する左急性硬膜下血腫、脳挫傷の傷害を負わせた。」というものであるが、前記認定のとおり、被告人の行為は正当防衛として罪とならないものであるから、刑訴法三三六条前段により、無罪の言渡しをする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡田良雄 裁判官 大渕敏和 裁判官 樋口裕晃)

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